葬儀の意味、供養の意味

葬儀の意味、供養の意味

葬儀の意味、供養の意味

葬儀や供養が不要だという考えが増えてきているようです。
また、内心はそう考えていても、世間一般の常識の範疇でやむを得ず必要だという考えもあるようです。
なぜ、そのように考えるのかといいますと、やはり死者は死んで無になる。無になった存在に、どのような想いも儀礼も無意味であるという自然科学的で合理主義的な思想が背景にあるようです。

しかし、本当に葬儀や供養は必要ないのでしょうか。確かに、わたしたちのだれもが死者となって、あの世を経験したことがないのですから、そんなものは無いと決めつけるのは無理もないことです。

しかし経験したことがないから、そんな世界は存在しないと断定してしまうことが、果たして科学的な態度でしょうか。やはり、あの世のことは不可知であり、断定を保留にするしかないというのが、現代の自然科学者の立場のように思われます。

だから、死者の立場で葬儀や供養の有り方について考えるというのは、まったくのナンセンスで、自然科学的な立場とは言えないといわれてしまうかもしれません。であるならば、同様に、死は無であると決めつけるのも、自然科学的な立場ではないでしょう。
プラトンは『パイドン』(岩波文庫)のなかで、魂の証明を試み、霊魂と転生について語っています。
人間は亡くなっても、なにかが残るのではないかと考えた脳生理学者もいます。
ワイルダー・ペンフィールドです。
かれは著書『脳と心の正体』のなかで、はっきりと、脳の座の他に意識存在を認めざるをえないと述べています。
つまり、脳が死んでも、意識が残るというのです。
ただし、その場合は、心は脳以外のエネルギー源と結びつかなければならないともいっています。
ではそのエネルギーとはなんなのか、ペンフィールドはいいます。
もし、他者との交流が、言葉を介さず、直接的に起きうるものならば(つまりテレパシーのような伝達手段を通じて)それは、他者からエネルギーを与えられたことになるというのです。
つまりそれは、遺された者が、死者に対して捧げた哀悼の念は、死者のエネルギーになるということではないでしょうか。もちろん証明できることではありません。
しかしわたしは追悼という行為には、死者の霊魂を養うという意味があるように思えるのです。


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